国指定史跡。天平13年聖武天皇の詔勅によって全国に建立された国分寺のひとつで、国の史跡に指定されている。スギの大木やカシ、シイなどの樹木に囲まれた森の中にあり、寺跡には薬師堂と観音堂が立っている。全国的にみて、上野国、相模国と並んで三指に数えられる規模という。この広大な旧寺域と見られる約5万平方メー…
長濱神楽は、大分市内で最初に行われる夏まつり”長濱神社祭典”を皮切りに、各神社に奉納しています。 大分の神楽は御嶽流、深山流、浅草流、豊後流、伊勢流などがありますが、長濱神楽は、豊後流に属します。 太鼓のばちが短く、テンポが速いのが特徴です。
正保2年(1645)の創建で、行方不明だった宇佐神宮神宝の剣が発見されたことに由来する 八幡宮です。 剣が発見されたことを聞いた肥後熊本藩主細川光尚公は嫡男綱利公の誕生にあわせ、これを吉事と喜び社殿造営を命じたといわれています。 …
日本庭園風の優雅な公園内には殉教記念碑と説明板が建てられ、豊後国におけるキリシタン殉教の歴史を教えてくれる。 かつて、府内の地は国主大友宗麟が保護したため、キリスト教が目覚しく繁栄したところである。 それだけに、ひとたび禁教の嵐が吹きすさんでは、その被害も大きく県下いたる所に尊い殉教の血…
豊府の岩屋寺に鎮座したのが始まりです。 後に大友氏初代能直〔よしなお〕が国中の疾病流行退散を願って、京都の祇園社を勧請し、以来大友氏の尊崇が厚く、江戸時代に入ってからは歴代の府内藩主が崇敬しました。 江戸時代には、祇園社(祇園宮)の呼称で呼ばれていましたが、明治以後に弥栄神社と呼ばれ…
大分市歴史資料館は郷土の歴史を学ぶ場、情報提供の場をめざして、さまざまな活動を行っています。 原始から近世、江戸時代を中心に、考古・歴史・民俗の各分野で、豊後(ぶんご)国分寺や中世の大友氏の時代や暮らしていた人々の民具・農具等、郷土の歴史を学べる場所です。 いろな歴史体験メニューがあり、…
松平忠直は徳川家康の孫で、13歳で越前国北庄(福井)藩主になった人物です。大阪夏の陣に大きな軍功を挙げましたが、少ない恩賞に不満が募ったこともあり、酒色におぼれて参勤交代を怠たり、家臣や領民を殺害するなどの乱行が目立つようになったといいます。幕府は、他の大名へのみせしめもあって、1623年に忠直を処…
1501年(文亀元)に創建された浄土宗西山派の寺院。 開祖・文忠梵英榮(もんちゅうぼんえい)上人が仏道修行のために、諸国を巡った折に豊後国を訪れたところ、その徳のすぐれた人望に深く感動した大友氏第18代親冶(ちかはる)が、上人を府内町に引きとめて建立した寺です。 それ以来500年以上この地にあり…
大分市の南西、賀来川のつくる河川段丘上に、千代丸古墳と称する横穴式石室古墳があります。 もともと封土は完全な盛土であるが、周囲が削り取られ、墳頂付近の封土も著しく流失して、いまはそれもわずかに石室を覆う程度に存在するだけです。 壁画が描かれており、画法はごく原始的で、人物、獣類を線であら…
元町石仏より北に約300m、県立芸術文化短期大学の東側崖地に大臣塚〔だいじんづか〕と呼ばれる前方後円墳(全長約50m、後円部が直径約35m、高さ約13m)があります。 この古墳は、崖際にあるため、保存状況はあまりよくありませんが、後円部は完全に残っています。大臣塚という名称は古くから地元に伝わ…
広徳山万弘寺は、坂ノ市市街地の中心部にある小さな寺であるが、用明天皇の御病気平癒の祈願所として創建されたといわれる県下でも最も古い寺です。当時は用明天皇御祈願の霊地として仏徳高く、信者の礼拝は数万を越えたと言われたが、度々の火災によって寺の規模も縮小され、現在の小庵となりました。現在の建物は昭和…
幕末から明治にかけて活躍した、鶴崎出身の儒学者・毛利空桑の関連資料を集めた記念館です。 旧宅である天勝堂や、約900人の門下生を指導した私塾「知来館」の見学ができます。 空桑の著作や詩作などの遺品を収蔵・展示しています。 ※毎月展示品が変わります。 …