「歴史・史跡・神社」の検索結果
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大分川流域で最大規模の小円墳です。 6世紀後半から7世紀初頭に造られた古墳で、横穴式石室内には家型石棺が安置されています。 大変貴重な古墳で、県指定史跡です。古墳は羨道部が長さ4m、幅1.7m、高さ1.5m、玄室は奥行2.5m、高さ2.1m。 大分市指定名木のムクノキが丑殿古墳(丑…
日本でも数少ない海の上の国道を往来します。 九州と四国の国道を結ぶことから名づけられた社名が 「国道九四フェリー(こくどきゅうしフェリー)」です。 九州の佐賀関と四国の三崎を最短航路で結び、 1日16便70分間で運行します。 佐賀関のターミナルビル1階には、売店があり出発前に大…
長曽我部信親は、安土桃山時代の武将で、土佐国の戦国大名である長曽我部元親の嫡男です。 天正14年(1586)12月、豊後へ侵入した薩摩の島津家久の軍勢と、豊後を死守しようとする大友宗麟・義統父子による戸次川の戦いがありました。 大友宗麟を助ける豊後・四国連合軍には、長曽我部元親・信親父子の他…
「白黒と 争う碁洞(ごとう)劫ノ浦(幸之浦) 波より他に 打つ人なし」の句です。 肥後の殿様がこの碁石の浜で詠ったといわれるもので、白黒の碁石浜の地名をうまく織りこんで詠っています。