アーケードを造らないヨーロッパ風のおしゃれな商店街です。 「みかげ石」をふんだんに使った石畳は、アート性にあふれ、落ち着いたイメージがまわりの建物と調和し、人々にやすらぎを与えてくれます。 そして、「ハナミズキ」の並木とブロンズ像やからくり時計が街を演出しています。 「府内5番街」という名前は…
市民ホールをはじめ、目的に合わせて選択できる多機能なスペースが用意されています。 スタジオ、会議室、市民図書館、中央こどもルーム、トレーニングルーム、ウェオーキングプール、情報プラザ、子育て交流センター、カフェレストランなどがある複合文化施設です。 隣接するシンボルロードは、芝生が広がる気持…
大分市美術館は、上野の森の自然環境に調和した落ち着いた雰囲気の建物で、常設展示棟と企画展示棟に分かれています。 4つの常設展示室では、これまで収集に努めてきた近世絵画から現代美術にいたる約1,800点の所蔵作品の中から、国指定重要文化財の田能村竹田の豊後南画や髙山辰雄の日本画など大分ゆかりの作家の…
【富春館】 大分市戸次町にある帆足本家は、400年以上続く旧家。 12世紀初め玖珠郡に興り、農業のかたわら造酒を業として財をなした家です。 現在の母屋「富春館」は1863年(慶応元年)臼杵の名棟梁高橋団内の作で、式台付玄関など武家の家構えが特徴です。 館号の「富春」は帆足家醸の銘酒を意味し…
府内は聖フランシスコ・ザビエルがこの地で布教して以来、日本で最初に西洋文化が栄えた町となりました。 弘治3年(1557)、府内教会では復活祭に聖歌隊が結成され、オルガンの伴奏で讃美歌を合唱しました。 以降、府内の町からは、美しい讃美歌の歌声が流れるようになりました。 また神父からビオラ…
海の向こうからやってくる、様々な夢や希望や生きものたちを迎える門をイメージして つくられている 絵本作家荒井良二氏によるオブジェ。
勝海舟と坂本龍馬が九州に初めて上陸した港跡や、加藤清正公の参勤交代の街道が残る佐賀関のことを地元では「関」とも呼んでいます。 関には江戸時代の街並みが色濃く残り、昔の営みが伺える屋号や史跡の紹介があり、坂本龍馬や勝海舟が止宿した徳応寺や漁師町ならではの家並みが見学できます。 街の中心には…
織田信長時代の天正7年(1579)、九州のキリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は来日した宣教師のヴァリニャーノの勧めを受け、少年使節団をローマ教皇に派遣することとなりました。 13歳の伊東マンショは宗麟の正使、また少年使節団の主席正使として派遣されました。。 天正10年(1582)…
大分駅府内中央口広場に、この大友宗麟公像は設置されています。 キリシタン大名として知られる大友宗麟は、フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教に帰依し、少年使節団をローマ教皇に派遣しました。 また、西洋の文物を積極的に取り入れた街づくりを行い、当時の大分は、日本における西洋文化の発信地と…
下郡神楽は霜凝神社の氏子となる滝尾地区、南下郡、北下郡の住民で行われます。 五法礼氏、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)や柴引きなどの神楽が行われます。 最後の方にチャリと呼ばれる道化師が出てくる神楽を下郡神楽オリジナルとして行っております。 田植えの様子を面白おかしく演じ、当時のおおらかな雰囲気が楽…
弘治3年(1557)、府内に日本最初の西洋式病院が建ちました。 そこではポルトガルの青年医師アルメイダによって、内科はもとより、日本最初の洋式外科手術が盛んに行われました。 病院には入院の設備もあり、永禄5年(1562)には入院患者が100人を超えていました。 患者はこの新しい南蛮医術にあ…
南蛮BVNGO交流館は”宗麟の生きた時代を体験できる施設”を コンセプトに、大友氏遺跡や大友宗麟の功績について、工夫を 凝らした展示や迫力のある映像等で紹介する施設です。 4つのゾーンがあり、それぞれ興味のあるゾーンで歴史体験を 楽しめます。 また、展望デッキか…