佐賀関を代表する海水浴場で、エメラルドグリーンに輝く海は、毎年多くの海水浴客で賑わいます。
水産会社直営店で、新鮮な旬の魚を安価で提供しています。 地元佐賀関で、四季折々の活きの良い”関もの”を味わっていただけます。 窓からは関の青い海を眺めることができる絶景の食事処です。 関あじ関さばはもちろん、鯛、鮑、いさき、鰤などご当地のグルメをご堪能ください。
寛永18年(1641)、熊本藩主の細川光尚公の協力を得て開設。 参勤交代の際に休憩所として使われた書院、御殿など、江戸時代の伽藍をそのまま残しています。 巨大な輪蔵を内蔵する経蔵もあります。 (県指定有形文化財) …
地元住民の手作りで管理されている海水浴場です。無料トイレ、シャワー、休憩所完備です。以下の規則を遵守してお楽しみください。 【禁止事項】 1.夜間の花火(花火は周辺に民家がありますので厳禁です) 2.砂浜で直接炭火を置いてのバーベキュー(コンロを貸しますので売店へ) 3.砂浜への車の乗り…
5世紀中頃に造られたと考えられている全長90mの前方後円墳です。 女性の首長を埋葬した、海部(あまべ)を代表する古墳の一つであり、副葬品も県指定有形文化財になっています。1932年の植林作業中に2基の緑泥片石製箱式石棺が発見され、その後の調査で4体の人骨が発見されました。 女性1体が「北…
水軍ときくと海賊の印象を持ちますが、佐賀関を治めていた若林水軍は立派な武士でした。 若林水軍は、キリシタン大名で有名な戦国大名の大友宗麟の先祖が豊後(大分)の殿様となって来たときから家来として仕えていました。 大友家に仕え、豊後を守るため、佐賀関から豊後水道を望む一尺屋(いっしゃくや)地区に…
半島である佐賀関では、海岸沿いの舗装された道が出来るまで、人々は険しい山道を歩いて峠越えをしていました。 江戸時代、佐賀関は肥後藩(現在の熊本県)の飛び地でした。したがって、大名行列の長い行列もこの道を通って参勤交代へ赴いていました。 文久4年(1864)、勝海舟や坂本龍馬も、この佐賀関街道…
勝海舟と坂本龍馬が九州に初めて上陸した港跡や、加藤清正公の参勤交代の街道が残る佐賀関のことを地元では「関」とも呼んでいます。 関には江戸時代の街並みが色濃く残り、昔の営みが伺える屋号や史跡の紹介があり、坂本龍馬や勝海舟が止宿した徳応寺や漁師町ならではの家並みが見学できます。 街の中心には…
「虎御前の供養塔」は、佐賀関街道(関往還)に面した、通称虎御前峠にあった。 付近に湧き水が見られ、通行人が休息するのに都合の良い場所であったという。 『佐賀関町史』には、五輪塔があると記載されているが、現在は見当たらない。 おそらく、その五輪塔を虎御前の供養塔と称していたと考えられる。 …
※関埼灯台施設改修工事期間中(令和6年1月29日~4月末)は、関埼灯台敷地内への立ち入りはできません。 四国の佐田岬灯台と向かい合う形で、瀬戸内海と外洋を結ぶ速吸瀬戸は、潮流は激しく渦巻き、暗礁も多く航海の難所であるが、航海の道しるべとして関埼灯台は、明治34年(1901)に設置、点灯されまし…
(2022/10/17更新)※関崎海星館のリニューアル工事に伴い、当面の間、ご覧いただけません。ご了承ください。 佐賀関の半島の先の方に関崎海星館があり、さらに突端に関崎稲荷神社と灯台があります。 その灯台の近くに、関崎地蔵はあります。 養老年間(717~724年)に、役小角(えん…
地元の地域づくりグループによってしめ縄が架けられており、 豊後二見ヶ浦(佐伯市)とともに、初詣の場所として知られています。 しめ縄の間から昇る朝日は、素晴らしい眺めです。 伝説では、神武天皇が東遷の途路、速吸の瀬戸において大ダコが守っていた神剣を ひろいあげ奉献した海女、黒砂(いさご…