開基者の豊岡清人は、寛永14年(1637)6月9日島原の乱のとき、征討のため九州に下り、翌年2月、乱は鎮圧されました。
この時、出家の意思強く、遂に真宗に帰依し、兼通と改名されました。
木佐上に来て、慶安3年(1650)8月14日、一宇を創立しました。
享保元年(1716)に8世製秀法師が現在地に諸堂を再興しました。
ご本尊は阿弥陀如来の立像45.45㎝(専進〔せんしん〕作)です。
また、その昔、木佐上には庵があって、白・黒の二つの仏像があったそうです。
後に、その一つ、黒仏が浄慶寺にと、言い伝えられており、それらしき黒い仏像が今もあります。
佐賀関で唯一、田園風景が残る木佐上にある淨慶寺で、田園風景を眺めながら、ご住職の心癒される法話を聞き、手ほどきを受けながら誰にでも易しく描ける水墨画を体験しませんか。
★ご住職による法話の一例「仏さんに聴いたご院家さんのひとり言」より★
・『尊敬される人になるより 尊敬する人になろう』
・『ときにつまづいて 人生深くなる』
・『人を責める人は多いが 人を許す人は少ない』
・『自分より下の人を見て幸せといい 自分より上の人を見て不幸という』
・『思いやる やさしさが伴わなければ 叱る資格などない』
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