本文へスキップします。
ホーム > 観光スポット > 神宮寺浦公園(南蛮貿易場跡 大友宗麟像)
大分県大分市勢家町4丁目844-1
無料
西部(西大分・稙田)
【歴史・史跡・神社】歴史/史跡・遺跡・石仏・資料
【バス】JR大分駅から約10分「春日浦」下車。徒歩約2分。 【車】大分駅から徒歩約10分 【徒歩】大分駅から約30分
「南蛮貿易場跡 大友宗麟像」に関するお問合せは下記まで 大分市文化財課 TEL:097-537-5639
公園の付近一帯は埋め立てられていますが、かつては浅瀬の波に洗われる美しい海浜でした。 平安時代、近くに春日神社の神宮寺という寺が建立されたところから、この名がついたといわれています。 天文年間(1532~1555)、ポルトガルや明との貿易を行った大友宗麟は、この浜辺を交易場として利用していたといわれています。 それにちなんだ「南蛮貿易場址」の碑があり、その側に太刀を杖にした大友宗麟像が建てられています。 ポルトガル人の来府は天文14年(1545)、中国のジャンク船に乗船して沖ノ浜に入港したのを皮切りに、天文20年(1551)の7月にポルトガル船が日出沖(神宮寺浦の対岸)に来泊しました。 同年9月にはフランシスコ=ザビエルが宗麟の招きで府内を訪れています。 その後、相次いでポルトガル船が来航し、神宮寺浦を含む別府湾は文字どおり南蛮貿易の表玄関でした。
公園の付近一帯は埋め立てられていますが、かつては浅瀬の波に洗われる美しい海浜でした。
平安時代、近くに春日神社の神宮寺という寺が建立されたところから、この名がついたといわれています。
天文年間(1532~1555)、ポルトガルや明との貿易を行った大友宗麟は、この浜辺を交易場として利用していたといわれています。
それにちなんだ「南蛮貿易場址」の碑があり、その側に太刀を杖にした大友宗麟像が建てられています。
ポルトガル人の来府は天文14年(1545)、中国のジャンク船に乗船して沖ノ浜に入港したのを皮切りに、天文20年(1551)の7月にポルトガル船が日出沖(神宮寺浦の対岸)に来泊しました。
同年9月にはフランシスコ=ザビエルが宗麟の招きで府内を訪れています。
その後、相次いでポルトガル船が来航し、神宮寺浦を含む別府湾は文字どおり南蛮貿易の表玄関でした。