大分元町石仏の西南約600m、龍ヶ鼻付近の崖にあります。
大分元町石仏同様に凝灰岩質で、特に岩質があらく、永年の風雨のため、
腹部から脚部に下る程侵食がはなはだしく、すでに輪郭をとどめていない像も少なくありません。
全部で十七体の磨崖仏から構成され、中央にあるひときわ大きな如来坐像(推定)をはさんで、
向かって右側には十一面観音菩薩立像など六像が並びます。
向かって左側には、不動明王立像など十像が掘り出されています。
いずれの像も彫刻面がひどく傷み、像名がわからないものもありますが、
大分元町石仏にならって考えると、中央の如来坐像を薬師如来とし、
その左右に釈迦如来、阿弥陀如来の2組の三尊像を設置し、過去・現在・未来の
3世信仰を表そうとした仏像配置であったと推測されます。
平安時代後期の作と言われ、当時の優れた仏教美術の技と仏教信仰の厚さを窺うことができます。
国史跡でしたが、傷みが著しいため県史跡に変更されました。
右手の崖には、かつて小仏像を収めていた千仏龕(せんぶつがん)が残っています。
十一面観音菩薩立像の右側の壁下部にある小穴に「天文15年(1546)7月」の刻銘があり、
覆屋を修復した際の年号といわれています。
「岩屋寺」の寺名は平安時代後期の「宇佐大鏡」(宇佐八幡神宮文書)の中で、天喜元年(1053)、康平2年(1059)にその名が見えます。当時この一帯は宇佐神宮の領地でした。
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