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本場鶴崎踊大会イメージ

 大友宗麟の時代から踊り継がれ、450年以上の歴史と伝統を誇る「鶴崎踊」(国選択無形民俗文化財)。
「本場鶴崎踊大会」は8月の旧盆過ぎの土・日曜日の夜に鶴崎公園グラウンドで盛大に開催される伝統的で優雅なお祭りです。
 各町内会や企業・各種団体の踊り子たちが、外題を書いた旗を先頭に 趣向を凝らした金銀の華やかな仮装で大きなやぐらの前に集まります。
「来ませ見せましょ鶴崎踊 何れ劣らぬ花ばかり」
「豊後名物その名も高い 踊る乙女の品のよさ」
横笛や胡弓などの囃子の音と口説きに合わせ、千人の踊り子が七重八重の輪になって踊る姿は、まさに「絢爛豪華」。
テンポが遅くしなやかで優美な「猿丸太夫(さるまるだゆう)」と、速く軽快な囃子にのって踊る「左衛門(さえもん)」、対照的な二つの踊りと、絢爛豪華な世界は、見物に訪れた多くの観衆の心をひきつけてやみません。

鶴崎踊(つるさきおどり)の由来


踊りの起源は、今から450年以上前の永禄3年(西暦1560年)、当時の豊後の国主大友義鎮(後の宗麟)が一時酒色にふけり、政治 を省みなかった時、重臣の戸次艦連(べっきあきつら・後の立花道雪)が、これを諌めようとしましたが勘気が強く、容易に近づけません。そこで面会の機会を作ろうと思い、京都より舞子を呼んで踊らせてみたところ、国主の気持ちもやわらぎ功を奏したと伝えられています。
その時の踊りが「三つ拍子(左衛門)」の始まりといわれています。

鶴崎地区は昔から芸能が盛んで、保存会の尽力で現在まで継承されています。

左衛門(さえもん)

 速く軽快な囃子にのって踊る「左衛門」。鶴崎では、昔から「左衛門」のことを「三つ拍子」とも呼んでいました。
今では「猿丸太夫」を主に踊っていますが、歴史的には「左衛門」の方が古いといわれています。

猿丸太夫(さるまるだゆう)

今日、一般的に鶴崎踊と呼ばれているのは、「猿丸太夫」の方です。
テンポが遅くしなやかで優美な「猿丸太夫」は、大分の代表的な踊りです。
江戸宝永年間「伊勢踊」が諸国に流行し、当時肥後(熊本)細川氏54万石の飛び地の鶴崎は、藩主江戸参勤の発着地として、また、京・大阪との交易の窓口の港町として大変繁栄していました。
町民も自ずから景気がよく、遊芸ごとも盛んであったようです。
当時の「おかげ参り(お伊勢参り)」の流行により、参団の人々が「伊勢踊」を覚えて帰り、風土と相まってこの地に定着したのではないかと考察されています。

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